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第6回 「野口晴哉先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。」
それはご病気になられる前の出来事だったんですね。その後の展開を考えると、ものすごく意味のあるお話ですよね。大いなるものに導かれているというか・・・。
そうですね。でも病気になったときは悲しかったですね。13才のとき、夜空を見ながら「自分の命はあと4年か。17才だなぁ」と。親はすぐに諦めましたが、自分は諦めきれなかった。
でもその時に「ガンでさえ治すことができる野口先生という人がいる」ということを知っていたからこそ、大きな希望が生まれたわけですよね。出逢いの順番を考えると凄いですよね。
その情報が無かったらもしかしたら違っていたかもしれません。子どもの頃から仙人の存在は当たり前のことと信じていましたし、常識ではない世界がある、ということはなんとなく思っている子どもでしたからすんなり信じられたんですね。
子どもの頃から見えない世界に興味があったんですか?
バリバリにありましたね。中学のときには地震は普通に予知をしていました・・・。病気がちな子どもって、そんなところがありますよね。小さいときには線が細く、弱い子どもでした。絵を描くのが好きでしたね。また両親が仲が悪かったので「なんで自分は生まれてきたんだろう?」みたいなことを考えたり・・・。
そして中学時代に野口整体を学びはじめ「背中にしか興味のない中学生」になられたそうですが、背中の何をご覧になっていたんですか?
「大人は信じられない」っていうのがあるじゃないですか。大人というのは、その人の前ではいい顔をしているのに、その人がいなくなったら「あの人、大っ嫌い」と言ってみたり。だから何を信じたらいいんだと思っていたわけです。

そんなある日、野口先生が脊椎のことを話されたんです。腰椎の3番、お臍の裏側の背骨が曲がっている人は捻れ体質で、おしっこが真っ直ぐに飛ばないでどちらかに曲がってしまうと。それである時からしばらくの間、三鷹駅前で、お弁当を持って大きな公衆トイレに行って、1日中トイレの前に立ったんです。

腰椎の3番が曲がっている人が来たらすぐに分かります。歩き方とか肩の振り方とか。それでそんな人が来たら一緒にトイレの中に入っていき、当時の公衆便所は金隠しが無かったので、隣に立って小便するふりして見てました「あ、やっぱり右におしっこが飛んでいくな」と。人が隠しているようなことも背中を見ていたら分かるんだと僕はおしっこが飛ぶ方向を見ながら実感したわけです。
お手洗いだけではなく、普段の生活の中でも背中を見ているだけで、この人はこんな人だろうなぁというのは、ある程度分かるようになるものですか?
背中を見なくてもみんな分かっていますよ。本にも書きましたが、お茶の出し方1つで、その人が「早く帰ってほしい」と思っているのか「ずっといて欲しい」と思っているのか、みんな分かるんです。だけどみんなそれを隠蔽しているだけです。言葉で感覚を封鎖してしまうわけです。だから僕は「インディアンと背中は嘘つかない」と思って背中に関心を持ち続けています。背中は分かりやすいということですね。
歌手の大貫妙子さんは中学の同級生で、女性代表として大貫さんの背中を触らせてもらったとか・・・?
もちろん服の上からですよ。男性の場合、あとは銭湯ですね。昔は背中を流させてもらえたので、人の背中を流しながら観察していました。もうこれで食べていこうと思っていましたしね。

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