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第13回
韮澤 潤一郎 氏
たま出版社長、UFO・超常現象研究家 1945年新潟県生まれ。子供時代のUFO目撃以来、国内外のフィールドワークを伴った研究を続ける。現在は雑誌やTVで活躍中。主に『TVタックル』などの番組に出演。超常現象肯定派として論陣を張る。UFO・宇宙人絶対肯定派

たま出版オフィシャルサイト
ニラサワ研究所(ブログ)
たま出版は、エドガー・ケイシーを語る上では欠かすことのできない出版社であり、40年以上にわたり、ケイシーの本を出版し続けて下さっています。まず初めに、たま出版がケイシーの本を手がけることになった経緯や韮澤さんがたま出版に入社した当時の思い出などをお聞かせいただけますか?
たま出版創業は1969年4月です。その年の9月に私は入社しました。『転生の秘密』という本がありますよね。その本にからんで、それよりも前に、たま刊行会という組織ができていました。その時に『窓はひらかる』というタイトルで出版されています。
ということは、『転生の秘密』は最初、たま出版からも『窓はひらかる』という題名で出ていたんですね。
これを見ると、昭和44年(1969年)5月1日発行になっていますよね。昭和44年というのは創業した年です。4月に創業して5月にはこの本が出たことになります。しかも発行日がシールで貼ってあるでしょ? これ、裏から透かして見ると、昭和41年4月30日発行になっているんです。41年にはまだたま出版は存在していないので、たま刊行会が出しているはずです。 ところが何故かこの本は最初、44年創立のたま出版から41年に出版されていたことになります。
プリントミスではないんですよね。
そうです。ちゃんと組織としてあったんですね。『窓はひらかる』を最初に出したのはインフォ社でしたね。それは初版だけしか出ていません。2版目をうちが出しています。創業社長が是非ともこの本を売りたいということでたま刊行会がインフォ社から版も著作権も全て買い取ったんです。インフォ社が出していましたが、販売力が弱かったし、たまでもすでにこの本を預かって売っていたんですよ。中身をみるとよく分かるんですが、活版印刷ですから文字も何も全て一緒ですよね。インフォ版とは前後の解説が違いますが、同じ版を使ってたま出版が2版目を出したんですね。それを私が『転生の秘密』として章立てなども変えて出版しなおしました。それが昭和60年、1985年のことです。
では、兄が読んだのは、以前の版のものだったんですね。私が最初この本を読んだのも中学のときでしたから、以前の版のものだったということになりますね。韮澤さんが入社されたときというのは、社員さんは何人くらいいらっしゃったんですか?
社員はいなかったかもしれませんね。私が入社したあとはずっと1人でしたから。
創業当時、『転生の秘密』の本大八車に乗せて先代の瓜谷社長と2人、行商に歩かれていた、というのは本当ですか?
大八車ならいいですよ。そんなに売れるなら。そんなものじゃなかったです。小さな籠に本を詰めて、あるいは段ボール箱に入れて小さな車で廻ってました。
本屋さん廻りをされていたんですか?
いえ、本屋じゃないんです。アチコチで会合があるでしょう。心霊学会みたいなの。そういった宗教的なところは毎月の例会がありますから、そういうところに行っては出店みたいに本を並べて売っていたんです。
ということはすでに『転生の秘密』以外にも本は何冊も出されていたんですか。
何冊も扱っていました。他の出版社の本を預かってそれを売っていましたから。それに、たま刊行会の時代に『たま』という雑誌も創刊していました。
昭和41年という早い段階から精神世界の雑誌を出されていたんですか。
啓蒙もしていましたからね。
雑誌『たま』の第2号にはさっそく空飛ぶ円盤ですね。今日も円盤は飛ぶ・・・。
『たま』の執筆者も蒼々たる人たちですよ。漫画家の山川 惣治さん、前の石原東京都知事も書いていますよ。あの人は意外と超常現象が好きなんですよ。『巷の神々』でベストセラー出していますから。あらゆる宗教団体を調べて書いています。創業社長はそういった宗教関係の研究していたんですよ。それに厭きたらず脱宗教を立ち上げ、いわゆる精神世界を立ち上げています。
瓜谷さんが精神世界という言葉を使い始められたと聞いていますが・・・
そうです。『ビジネス未来本』という本を出した頃ですね。京セラの稲盛和夫さん、船井幸推さんなど5人がこの本を書いています。1987年には『たまビジネス研究会』の立ち上げとなります。

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