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  3. 一般の方々が何かの仕事をしているように、行者は神仏への祈りを仕事にしているといういわば祈りのプロでもあります。

第20回
そんな辛い状況のなかでよく立ち直ることができましたね。そして、そのあたりから不思議なことが起こり始めるようになったとか。
そうです。それはある日突然始まりました。コンビニにいくと知らないうちに右手が新聞を掴んでいる。新聞を買って帰ると、今度はペンをとって訳も分からないまま株の銘柄をチェックしはじめる。一体何をしているんだろうと自分でも驚きましたが、彼が株取引をする人だったので、これは彼に動かされているんだなと。それを皮切りに、どんどんいろんなことが起き始めたんです。口を開けば自然に言葉が出てきたり、自動書記でメッセージを書かされたり、目を閉じれば文字を見せられたり。その頃ちょうど「ゴースト」という映画が流行ってましたが、あんな感じだったかもしれません。

不思議なことが起き始めた私を見て、母は『あまりにショックを受けたせいで頭がおかしくなってしまった。精神病院に入れたほうがいいかもしれない』と言って本当に心配していましたね。ところが家族も同じ現象に遭遇するようになったんです。たとえば、皆が見ている前で私の体が誰かに、おそらく霊体の彼に引っ張られる。家族が抑えようとすると私の体がねじれて変な恰好になってしまう。夜中になると時計が鳴り出すし、スイッチの入ってないマッサージ器が動き出す……。そのうち家族もすっかり慣れてきて『〇〇さん(彼の名前)が今こっちに来たね』とか言うようになったんです(笑)。
怖いと思ったことはなかったんですか?
むしろ彼と一緒にいられることが嬉しかったんですよね。それに、そんな現象を体験するのが面白くもありました。彼は有名なお寺の家系に生まれたこともあり、スピリチュアルな世界に強い関心があって、精神世界系の本をたくさん読んでいたんです。彼が亡くなってしばらくして、彼の家の本棚のなかから突然に一冊の本がぱっと私の目に飛び込んできまして。それがロバート・A・モンロー氏の書いた体外離脱に関する本でした。時空を超えた旅などが詳細に書かれている本で、ちょうど不思議なことが身の回りに起き始めた時だったので、その本を読んで勉強をするようになりました。そして、魂を通して彼と接していられるなら寂しくないと、ますます見えない世界に興味を持つようになりました。
たとえ彼の姿が見えなくても、存在を身近に感じていたい。大切な人を亡くした方なら誰もがそんな風に思うのかもしれません。
その頃は本を読んで勉強しながら、ありとあらゆる霊能者さんに相談をしていました。するといろんな霊能者の方が、私と彼は精神的な結びつきが強かったので、肉体を失ったのにも関わらず彼が私の近くにとどまっているんだと。今は私の力が強いので、彼をこの世に引っ張って、私の体を共有して生きているが、この状態が3年も続けば肉体に負担がかかるようになる。そうすると彼と共にあの世に行くことにもなりかねない、と口を揃えて仰ったんです。でもそれを聞いても、体が弱って彼と一緒にあの世に行くことになっても構わないと思っていました。

でもある日、ある霊能者さんから『いつまでもこのままでいるのはお互いのためにならない。あなたが死ぬまで彼と一緒にいたら、2人とも成仏できなくなる。彼には彼の行くべき世界があり、あなたにもこの世でやらなければいけないことがある。お互いの道に進んでいって、あなたが魂になってから再び会えばいい』と言われたことが心に響きまして。彼には成仏をしてもらい、また私もこの世で魂を磨いていこう。そして、お互いに昇華した魂となってあの世で再会を喜べばいいんだと思い直したのです。それで、いよいよ決意をして彼と魂レベルで話し合いをしたところ、それまで心臓の部分にいた彼が、私の身体からポンと飛び出していくのが分かりました。そうしてその時に、ようやく今生での本当のお別れをしたんです。
お互いのためではあるけれど、やはり正直なところは寂しいという気持ちもあったんじゃないでしょうか。
ええ。でもその霊能者さんから『月に一度の月命日の時には彼が会いに来てくれる』と言われましたし、対外離脱の本から魂同士で触れ合うことができると知って腑に落ちたこともあり、安心してお別れすることができました。この彼との別れを機に、やっと人生の再スタートを図ろうと決意し、彼の供養を続けるために仏事を、私と彼の魂を浄化して昇華させるためにご神事を勉強しよう、同時に世の中に役立つ仕事をしていこうと思ったのです。

それからは、今まで身につけた「見えない世界」の感性を取り入れた施術をするようになりました。いわゆる気=エネルギーへの感度が高くなったからか、一目でお客様の心身の状態が分かり、かゆいところに手の届くような施術を行うことができるようになったんですね。各地の聖地を巡ったり、正しい御祈願の方法を勉強したりしながら、自分を浄化してパワーアップすることにも心がけるようになりました。そのおかげで施術を受けたお客様には以前にも増して喜ばれるようになり、評判が評判を呼んで、お店はますます忙しくなりました。皆さんが喜んでくださる姿を見ながら、私も仕事に手応えを感じ、再び生きる目的を見出したんですね。
ところが、そんな山口さんにまた大きな試練がやってくるという……。
そうなんです。今度は母が持病の肝炎がもとで帰らぬ人となりました。彼が亡くなってから5年後のことです。ようやく悲しみも癒えてきて、心配かけてきた両親に親孝行をしようと、新しい家を建てていた矢先のことでした。さらに、その2年後には父が他界。わずか10年の間に婚約者、母、父と立て続けに大事な人を失くし、さすがの私もこれで『全てが終わった』と、今度ばかりはもう立ち直れないほどの絶望の淵に立たされることになってしまって。

これまで「人々や社会のために」という志を忘れず、一生懸命に働いて正しく生きてきたはずの私が、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだろう? 見えない世界への学びを深めてきたおかげで、肉体がなくなっても魂は存在するということは分かっていましたし、霊体とコンタクトをとる能力も身につけていました。でも、だからといって、目の前から愛する人がいなくなるという悲しみが消えるわけではありません。もう私には虚無感しかなく、自暴自棄の日々を過ごすことになっていったのです。

そんなやりきれない日々を過ごしていたある日「このままではいけない。どうにかして私の傷ついた心を癒したい」という想いが湧き上がってきました。そしてふと思ったのが、聖地に巡礼をしに行こうということ。それまでにもお客様のためにはもちろん、自分や彼、また家族のために聖地に出かけては祈るということをしていました。でも、今はただ一人で静かに神様と向き合いたい。そして対話をしたい。そこで、そう思った私はそれまでの事業を一度整理し、心の慰めを求めるようにして聖地へと向かいました。西国の観音霊場、伊勢、九州、天川etc……。閃きにしたがってあちこちを巡り歩く日々。そんなとき、あるきっかけがあって辿り着いた場所がありました。それが奈良・大峰山の麓にある蛇の倉七尾山という、後に私が修行に入ることになる行場でした。

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