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第20回
あるきっかけというのは何だったんでしょう?
仏画家の友人に誘われて、上野博物館で開催されていた仏画の展覧会に行ったときのこと。私はある仏像に惹かれてしまい、近くに座ってずっと眺めていたんです。そうしたら、その仏様が私の頭の中にくちばしを入れ、毒を引っ張って抜いてくれるというような感覚を受けまして。後で知ったことによると、それは「孔雀明王」という孔雀の上に座ったお不動さまで、災いや苦痛を取り除いてくれる仏様だということでした。後日、知人にそんな話をしていると、私がよくお参りに行っている天川の近くに孔雀明王をおまつりしているところがあると教えてくださって。それが先にお話しした蛇の倉七尾山という場所だったんですね。それでその方の先導のもと、そこに初めて参拝に行くことになりました。ですから孔雀明王に導かれたのが、奈良の行場に辿り着いたきっかけだったといえるでしょうか。
初めてそこに行かれた時には何か感じられましたか?
知人からその場所の名前を聞いた時点で『そこだ!』と魂が喜ぶのが分かりました。そして、いざお山に辿り着いてみたら、彼が亡くなった後に何度も夢に出てきた場所と同じ光景が広がっていたのに驚きました。さらに、知人に連れられてお滝場に行くと、もう全身から汗が吹き出し、嗚咽が止まらなくなってしまったんです。同時に『私は今まで生まれてきたことやこの肉体に対して感謝することを忘れていました。神仏の皆さま申し訳ありませんでした』という言葉が口をついて出てきまして。今まで早く死にたいと願ってきたけれど、天に与えられた命を粗末にしようとしていたなんて、私は何と高慢だったんだろう。私のこれまでの運命はすべて筋書き通りのものだったのかもしれない。だとしたら、もう何も怖いものはないではないか。これからは運命を受け入れて、自分らしい人生を全うしよう。そんな風に、まさに天からの啓示を受けたような気付きを得たんです。では自分らしい人生とは何か? それはセラピーの仕事を通して、人様のお役に立っていくことなんだろうと。

こうして生きる力を得た私は、再びセラピーの仕事に復帰しながら、折にふれて蛇の倉に通うようになり今に至ります。信頼できるスタッフに仕事を任せて、3年間住み込みの修行に入ったことも。今は東京にベースを置いて生活をしながら、やはり相変わらず毎月のように奈良に通っていますね。
シェアありがとうございます。さて、ここからは山口さんが修行に入られている蛇の倉七尾山の「修験」の世界について、そして一般には知りえない行者さんの修行や生活などについて、色々とお話を伺いたいと思います。まず、修験道というのはどういう信仰なんでしょうか?
一般には、日本古来の古神道を包括する山岳信仰に、密教や道教、儒教などが結びついた神仏習合の信仰の道であるといわれています。ですから、ある固有の宗教のみを信じるように勧めるものではなく、どんな宗教や宗派であっても受け入れるという懐の深い世界観を持っています。

*修験道のより詳しい説明については、こちらのサイトをご参照下さい。
蛇の倉で修行をされる行者さんというのは、どういう方々なんでしょうか?
あくまで私が蛇の倉七尾山で知ったことをもとにお話ししますと、「行動を通して自分の魂を成長させようとする人たち」だと言えるでしょうか。祈り行や水行だけではなく、食事の支度や土方作業など、ありとあらゆることを「行」にしています。例えばお風呂を入れるにしても、行者の宿舎のお風呂は薪で焚いているのですが、まず山に入り間伐材を取ってくる、取ってきた間伐材を薪になるよう準備する、一仕事終えた行者が帰ったらお風呂に入れるよう、その時間にあわせ薪で焚く。それだけでも重労働なわけです。蛇の倉は奈良の山中にあるため冬場、薪は凍っています。その凍った薪で山や川からひいた冷たい水を適温まで温めるのは至難の業なんですよ。火の性質を持っている行者はすぐにお風呂が沸かせるのですが、私のように水の性質を持っている人間はなかなかお湯が熱くならない。火と水をコントロールするだけでもかなりの工夫と力が必要になってきます。ガスでお湯を沸かせば簡単なのですが、あえてそうしない。お風呂を良い時間に良い湯加減で用意するのも修行の道だからです。つまり、苦労をすると知りながらも自分に負荷をかけ、肉体の筋肉を鍛えるように、魂の筋肉を鍛えるわけです。山に行あり、川に行あり、海に行あり。自然や宇宙と一体となり、自分が生かされている魂を躍動させ、自分の本命、本分を全うしようとする。それが行者です。

また、一般の方々が何かの仕事をしているように、行者は神仏への祈りを仕事にしているといういわば祈りのプロでもあります。祈りは神様にとって食事のようなもの。行者一人一人の祈りを集めて神に捧げ、聖地に鎮座していただくわけです。とくにパワーも個性も強い神様の場合、神社やお寺に鎮座していただくためには相当に力を持った行者の祈りが必要なんです。蛇の倉の行者さんは、どこかで大きな災害が起きた際にはその慰霊供養をしていますし、世界平和や国家安泰、英霊諸霊供養のための祈りは毎日行っていますね。
行者さんたちは1日をどのように過ごされているんですか?
朝は全員で本堂の掃除をしてからお祈りをします。基本的に夏は朝6時から、冬は7時から拝神を行いますが、行者の宿舎では夏は朝5時20分から、冬は朝6時20分から拝神と先祖供養の祈りを始めます。ただし行者自身の「祈り行」は、全員での拝神の時間が始まる前に行うため、皆がそれぞれの時間に起きて祈ることになります。当番制ですが、皆の朝食を作る係や、本堂のほか山頂の奥の院にいらっしゃる神様に朝3時半からお給仕をする係の行者は、もっと早くから起きて活動しているんですよ。朝食が終わったら、男性は建物を建てたり修繕したり、山の手入れをしたりと主に外回りを担当。いっぽう女性は宿舎の掃除、洗濯、食事作りなどを担当し、それぞれに分担して行っていますね。そうして皆が各自、仕事を通して魂を磨いています。この行者修行をしている最中には、行場と行者の双方で金銭を授受することはありません。行者はお行をさせていただいているぶん、お山への奉仕活動をさせていただく。そうしてただ「行」に専念するのです。特別な期間には、昼夜を問わずに「祈り行」をしたり、護摩や加持祈祷の研修を行ったりすることもあります。

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