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第1回 「幸運の女神」になるためのケイシー療法実践法
「心が私的な利害から自由であるとき、われわれは仕事を十全にすることができ、楽しく感じる。そのときわれわれの人生は意味に満ちたものになる。もしわれわれの心から利己性がなくなり、すべての人々の人生に犠牲的献身が備わったならば、他ならぬこの世が天国となり、平安と至福の住みかとなる。この生にあっては、全てのものが与えている。献身的貢献は、生の掟なのだ。
(中略)
自然のすべて――木々も鳥も動物たちも、全てが他のもののために生きている。なぜ、ロウソクは燃えて溶けていくのか? それは光を与えるためである。なぜ、香は燃えて灰になるのか? それは香りを与えるためである。なぜ、樹木は伸びるのか? それは果実と花を与えるためである…。およそこの世界に、生物・無生物を問わず、自分だけのために生きているものなどあるだろうか? ない。ならば、自然のすべて犠牲だというのに、ひとり人間だけが利己的な生を送ってよいものだろうか? われわれば、与え、与え、かつ与えるために、ここに在る。われわれに与えられて然るべきもの――それは、われわれが思い煩うまでもなく、与えられるべくして与えられるのだ。
 
『犠牲的献身の人生を送るべきだというならば、私はどうやって食べていけばいいのだ?どうやって衣服を得、住むところを得たらいいのだ―?』
 
   それらのものは、他者に奉仕するための自分自身の備えとして持てばよいのである。あなたにはまた明日の朝も元気で他者への奉仕に出かけられるように、ゆっくり休むためのベッドが要る。他者に奉仕するための十分なエネルギーを得るためには食べねばならない。そのようになにをするときでも、『私は他者に奉仕するために自分自身を整えているのだ』という思いでもってやる。瞑想をするときでも、それは自分だけの平安のためではない。安らかな心で外に出て、十分奉仕できるように、するのだ。他でもないそのことを念じながら、瞑想をする。そうだ、そのときにはヨガの瞑想さえもが無私の行為となる。そしてそれが、神に対してさえ執着するなかれ、の意味なのだ。このヴァイラーギヤすなわち無執着だけが、あなたの全人生を喜びに満ちたものへと変えるに足るのである」

So, when the mind is free from personal interest we do our work well and feel joyful. Our lives become meaningful. If our minds are free from selfishness and there is sacrifice in everyone’s lives, the very world becomes a heaven, an abode of peace and bliss. Everything in this life gives. Sacrifice is the law of life.

(中略)
It is not only saints but everything in nature---trees, birds, animals---they all live for the sake of others. Why does a candle burn and melt away? To give light. Why does an incense stick burn to ash? To give fragrance. Why does a tree grow? To give fruit and flowers. Is there anything, sentient or insentient, in this world that lives for its own sake? No. When the entire nature sacrifices, why should we human beings alone lead selfish lives? We are here to give and give and give. What is due to us will come without our worrying about it.
Of course, even here we can wonder, “If I am to lead a sacrificial life, how can I eat, how can I clothe myself or have a house of my own?” You can have all these things to equip yourself to serve others. You must have a bed to rest in to feel refreshed in the morning to go out to serve others. You must eat to have enough energy to serve others. So you do everything with the idea that you are preparing yourself to serve others. Even the practice of meditation is not done just for your own peace but is done because with a peaceful mind you can go out into the world and serve well. With that very idea you can meditate. So, even your Yogic meditation becomes a selfless action. That is what is meant by “Even with God do not have attachment.” This vairagya, or non-attachment, alone is enough to change your entire life into a joyful one.

と、ここまでです。

私も本当にこの通りだと思っているのですが、もしネガティブな影響を受けているせいでエネルギー切れになっていたなら、周りに何かを与えたり、貢献したり、幸せを届けたりすることはできません。では、どうすれば周りに幸せを運ぶような人間になれるのか? その第一歩が、まず自分の心身に含まれたネガティブ・エネルギーをリセットして、フラットな自分に戻ることなのです。そうすると、本来奥に眠っていた本当の自分が内から自然に現れてきます。自然体のあるがままの自分でいれば、自然の流れに乗ることができるのです。

自分を大事にするというのは、一緒にいる人を大事にするということです。そして、これから出会う人たちを大事にすることです。さらに、人生や大自然を大事にすることでもあります。クリシュナムルティの有名な言葉にあるように「あなたは世界であり、世界はあなたである。あなたが癒されずして、なぜ世界を癒すことができようか。あなたが癒されたとき、世界もまた癒される」ということと一緒です。世界とは、日本であり、地域であり、仕事を通じて触れる全ての人たちであり、共に歩む仲間であり、支え合う家族であり、愛する人であり、そして目の前の人のこと。つまり、その誰かのために自分を大事にするということなんですね。

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