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第6回 「野口晴哉先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。」
三枝 龍生(さえぐさ りゅうせい)
1954年東京生まれ。病弱な少年時代を野口整体とマクロビオティックで克服。その後、自衛隊パラシュート部隊、野口整体内弟子を経て1984年独立。その後は海外で指導しながら模索を続け、2009年、合気道と野口整体と易学を同時に学ぶ「天心会」を発足。
近著として「最後に残るのは、身体だけ」(講談社α新書)がある。

公式サイト:http://www.aikido.co.jp/
ご著書を拝見すると、野口整体を知ったきっかけは中学のときに発症したご病気だったとのこと。筋無力症というのはどのような病気で、三枝先生の症状はどのようなものだったのでしょうか?
13才ですから、中1のときです。突然、鉛筆が持てなくなりました。黒板に板書された字をノートに書き写そうとすると鉛筆が持てない。 歩けるけど、物が握れない。先生に怠けていると思われるし、アチコチの病院を廻ってもなかなか病名が分からず、辛かったですね。

おそらく自分の記憶を隠蔽してしまっているんですね。さきほどご質問をいただいてからずっと思い出そうとしているんですが、当時のことは混沌としていてほとんど思い出せません。ただとても辛かったことは憶えています。

最終的に慶応病院で病名が判明したときの嬉しさ、でも治らないと言われたときの愕然とした感じ・・・。

例えば、皆さん60才くらいのときにガンだと言われておろおろするけど、10代の子どもが「もっても4年」と言われるとすごいショックですよ。
ご両親もお辛かったでしょうね。
両親はまた面白い人たちでね。「そうですか」とすぐに諦めてしまいましたね。僕は諦めきれなかったけど、両親はすぐに諦めました。
そのご病気をきっかけに野口整体に出逢われたのだと思いますが、それはどのような経緯があったんですか?
実は野口整体を知ったのは、筋無力症を発症する前なんです。僕は将来、科学者になろうと思ってい たくらいなので、数学が大好きだったんです。忘れもしない、ある時、数学の西先生が野口整体の自動運動―今でいう活元運動のお話をして下さったんです。さらに西先生ご自身の体験として「あるとき膝のお皿が割れて、通常の医学だったら一生足をひきずるようなことなのに野口先生のところに行ったら治った。ガンになったときも野口先生のところに行ったら治った」と言われたわけです。

そのとき、周りの誰もそんなことは信じませんでした。でも僕はそんなことがあってもいい。西先生が言うように「ノーベル賞をいくつも取ってもおかしくないような人」がこの世にいてもいいのではないかと思いました。

それで、その話を聞いたあと職員室に一人で行って「さっきの話は本当のことですか?」と、野口先生のことをもっといろいろ西先生から教えてもらい、さわりだけですが、活元運動の誘導法も習ってきました。

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