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第6回 「野口晴哉先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。」
それが外経絡と、どう繋がるんですか?
ある法則が見えてきます。この服を着ると変なことが起きるとか。外経絡で内経絡は変わるんです。人間は外側と繋がっているということですよね。人とも時間とも空間とも。
男性の場合は、会社帰りに行きつけのバーで一杯飲んで帰ったり、同僚と新橋に寄ったり・・・。
というより、家に帰る前に嫌なことを落として帰らないと碌なことがありません。会社もお芝居、家もお芝居で、一番自分がニュートラルになる場所が居酒屋だったりしますね。イギリスの方が書いていましたが、日本人には精神分析家はいないけれど居酒屋の女将がその代わりをしていると。居酒屋は日本の大切な文化ですよね。「もう飲まなくていいから、いい加減に帰りなさい」と言ってくれる女将なんて他にはいないでしょう。そういう女将もだんだん少なくなってきつつありますが・・・。
次に合気道についてお聞きします。
合気道は面白いですよ。人間だけですよ。「おさるのチンチン電車」みたいに真ん中にハンドルがなくても車を運転できるのは・・・。動物は右や左にハンドルが寄った車では運転できません。自分を中心にせず、車を中心に運転する、というのはもの凄い離れ業なんです。

例えばこういう感じです(※と、デモに入る・・・。三枝先生の腕を持ち、動かないように力をこめて立つよう言われる)。

このとき自分を中心に相手を動かそうとすると、こんな感じに相手は動かないわけです。ところが2人の間に「中心」を置いてダンスのように動かすと、もはや抵抗できません(※力をこめて抵抗しても、あっけなく倒されてしまう)。ダンスのようにすると、相手はセコムを解除するみたいに敵対心を解除してしまいます。
それは意識を真ん中に置く、ということですか?
自分もここに参加する、ということです。自分中心に相手を動かそうとしないことです。つぎに、自分軸ではなく相手の軸で動いてみる。すると、さらにあっけなく相手が動いてしまうので、まるでやらせのように見えるけれど、やらせではなく、本当に相手が動いてしまうんです。

相手を居着かせるのが合気道。相手が判断保留になると居着いてしまいます。分からないことに対しては居着いてしまうんです・・・。まるで今の日本の国民みたいですよね、分からないから居着くなんて。判断保留状態です。敵と思った人が今までと同じなら、抵抗できるけど、自分の中心にしてくれる敵愾心を感じない相手だと、何がなんだか分からなくて相手の為すがままになってしまいます。

自己中心的な人は合気道ができません。いくら「相手のことを思って」と口で言っても自分を中心に相手を動かそうとするから相手は動かない。先ほど整体についても話しましたが、「相手を治そう」とか「自分が治ろう」ではないんです。合気は相手を「倒す」のではなく、相手が「自らが倒れる」のを導くだけです。
合気道を学び始めるのに年齢はないですか?
全く無いですね。死ぬ2日前からでも来て下さいと言いたいです。人間の運動神経はほとんど何に使われているかご存じですか?それは「立つ」ことなんです。まっすぐ立たないと合気道というのは始まりません。バレエもそうですね。

そういった意味でいうと、エドガー・ケイシーさんはすごくキレイな立ち姿ですね。いろんな写真を見るとスーっと天地の中心線が繋がっていますよね。そうでなければ直感は来ないと思います。ケイシーさんの写真を見ているだけで勉強になりますよ。天地が繋がっていますから、ケイシーさんは。違う言葉でいうと人は「見た目」です。見たまんまです。
全身の写真を見ずとも分かる人には分かるんですね。
分かります。僕は競輪とか競馬とかを見るのが好きで、競輪なんてルールは分からないまま行った時代がありましたが、競輪場に行っても予想屋の背中だけ見て、その日、良さそうな人がいたらその人の予想で買います。買ったら競技は見ないで、そのまま出て行って喫茶店で本を読んでから、レースが全部終わったら集金に戻るわけです。

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