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第6回 「野口晴哉先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。」
高校時代などは同級生から「整体して」という依頼はあったんですか?
高校ではなく、中学のときからずっとしてましたよ。学校の先生にも。
では整体師としてのキャリアはもう45年くらいになりますね?
実のところ、僕は治そうとは思ってないんです。これは弟子にも言っていますが治そうとすることが治ることではない。倒そうとすると抵抗するように、治そうとすると人は抵抗するモンなんですよ。病気になった原因が必ずありますから「その病気は治りましたが死にました」「手術は成功、でも死にました」ってこともあるわけで。

話は前後しますが、エドガー・ケイシーとの関わりを少しお話すると、野口晴哉先生が亡くなられた後、治療についてどう模索していいのか分からないところがありました。野口先生にもやはり超能力的な力はありました。そうでなければ治療なんてできませんから。ですから野口先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。

背中が直角に曲がった老婆がいたとします。その老婆が亡くなったとき、その曲がった背中をみんなで伸ばすのかといったら、死んだとたん背中は身長まで伸びてきます。死んだら伸びる背中ならば生きているとき伸びていてもいいものを、生きているときには曲がっている。

人間というのは死んでキレイになるから成仏というんです。でも生きているときには自分の妄想も含め、何かにしがみついている。生きていて、でも何に対しても囚われのない身体になるというのが野口整体の目標なのではないかと思ってやってきています。

それから「治す」ということよりも「観察」のほうが先ですね。観察が成功すれば治療は成功したと言えます。最近は遺伝子とかDNAとか全てを分解、分析して本質を知ろうとするなか、私は人間そのものを観察するということが大切ではないかと思っています。野口晴哉先生も素晴らしい観察者でした。
先ほど少しエドガー・ケイシーのお話が出ましたが、ケイシーとの出逢いや時期についてお話いただけますか?
中学の頃からケイシーの本は読んでいました。顔を見るといわば聖者のお顔をされていますし、本を読むとケイシーは誠実のかたまりのような人ですよ。そのケイシーを凄いなと思うと同時に、彼の能力を容認し、財団をつくるアメリカも凄いなと思いました。
三枝先生が中学の頃ということは、まだケイシーの本がほとんど出版されていない頃ですよね。
そうかもしれません。でも当時、野口整体をやっているような人の間では、ケイシーはよく話題に上りました。僕は今でもそれほどケイシーさんの本を読んでいるわけではありませんが、ケイシーさんには憧れていましたね。
野口整体を学ばれていた方がケイシーの本を読まれていた、というのはとてもうれしいですね。ところでケイシー療法で取り入れていることなどありますか?
東洋医学で1つだけ残念だなと思っているのは、お互いの交流がないことなんです。自分の先生のやり方が一番、といった感じで横の繋がりを持ったり他の勉強をしない人が多い気がします。西洋医学というのは学会があったりして、お互いの意見や情報を交換しあったり勉強しあったりするじゃないですか。僕はボクシングも空手も柔道も合気道も全部やっています。やった武道は全部、有段者ですが、自分がやっていることを1つ極めるのもいいけど、他を学ぶことによって分かることもあることがあるんじゃないか。それが僕の持論です。

治療も「この人にはこの治療や食事療法がよい」だけであって、いろんなモノを見て学んでおく必要があると思っています。ケイシーさんも晴哉先生も三千三先生も、それぞれやっていることは違っているかもしれないけど、人間を対象としている限り、地下水脈で皆、繋がっています。他を学ぶことは今やっていることをより深く理解できることになる、ということをずっと思っています。

それに「こういう時には背骨の何番を圧しなさい」ということを教えてくれるから、それを鵜呑みにすると言うのではなく、試行錯誤しながら自分でその方法にたどり着いたほうが応用の利く技術になるわけです。

話を元に戻すと、僕がケイシーさんの本を読んで学んだのは瞑想でした。今も治療に入る前には必ず瞑想をするようにしています。

それは何故かというと、例えば整体操法の現場においてある人に突拍子もないようなことを言うことがあります。でもその突拍子もないことが、その人にとっては一番重要な事柄だったりします。

野口晴哉先生もたとえば、整体中、突然、会員さんに「おばあちゃんに借金を返さないのはまずいよ、借りたものは返しなさい」「見えないかもしれないけど、あそこでおばあちゃんが立ってるよ」と言うことがありました。あるいは「遠くアメリカにいる息子さんが調子悪いの?写真はあるのかい?」と会員さんから息子さんの写真を受け取ってしばらく指でなぞった後「電話してごらんなさい」って言うから電話すると息子さんが治っていたり・・・。

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