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第17回
かつて、オランダにジョゼフ・ルーロフというシュタイナーみたいなサイキックがいたんですが、彼は人が亡くなってから数日間は、荼毘にふすのを避けるようにと言っていました。魂がまだ繋がっているから、魂のコードが切れるまで待てと。

でも今の日本では、病院で亡くなった途端にベッドから霊安室に移動しないといけないし、かといって病院にもそう長くいられないので、すぐに葬儀屋さんに連絡をして迎えに来ていただかなければならない。それから親戚や関係者に連絡をして、次は葬儀の準備etc.……。そのバタバタとした手続きの中で、故人を抱いて見送るなんてなかなかできませんよね。ようやくひと段落した時には故人はもう棺の中で、そうなるともう何か距離感ができてしまうという。
70年前の敗戦とともに、日本は命の重さを知ることよりも“スピードと効率”を大事にする社会になってしまったじゃないですか。病院のベッドを早く空けないといけない、それには葬儀屋さんを呼んで運ばなければいけない。そういう早く早くという風にスピードと効率を求めて、何でもお金に変えてしまった私たちの愚かさ。旅立ちの場面は出産と一緒で、とても神聖なものです。そこで最期に生み出される魂の光を受け取るためにも、私たちはゆっくり待たないといけないの。

看取りというと、皆さんはきっと臨終の前までのことを想像されますよね。でも実はそうではなくて、臨終からが看取り=“魂の受け渡しをする段階”なんですよ。もともと「臨終」とは、「臨命終時=りんみょうしゅうじ」の略語。命の終わる時に臨んで、医師が『家族の皆さん、医療の上ではもうすることがありません。今度は皆さんが命を受け取ってください』と告げると、そこから家族はたっぷりと時間をとってお別れをするんです。それが看取り。この時間をかけるプロセスを省いてしまったら看取りとは言えません。なぜって、目に見える物質としての体しか見ていないから。

私たちというのは死んだら終わりというのではなく、永遠に生きる命そのものじゃないですか。そして、魂のエネルギー=光を子孫に残し、魂を重ねて、人類の進化に繋げていく。それが命のバトンになるのです。こういう本当の旅立ちというものを、もっと多くの人に知ってほしい。そして、臨終ですと告げられた瞬間に命が終わるのではなく、そこからが魂の受け渡しをする時間の始まりなんだということを。
なるほど。臨終にはそういう意味があったんですね。
社会学者の上野千鶴子先生がよく仰るのは、“臨終コンプレックス”といって、医師からの「ご臨終です」という宣告の時に立ち会わないといけないように感じている日本人がいかに多いかということ。でも実は宣告の時に立ち会う必要はないんです。むしろその後からでいいから、旅立つ人を抱きしめることのほうが大切なの。だから臨終の時までは、医師や看護師さんにケアをお任せしていたっていい。先にお話したように“臨終”の意味をしっかり理解して、温かいうちに抱きしめることができればそれで十分なんです。
ご著書のなかで、『たとえ介護ができないとしても、最期の1週間でいいから一緒にいれば、その人は幸せな死を迎えられる』と書かれていますね。
はい。マザーテレサは『人生のたとえ99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる』と仰っています。さらに『5分間抱きしめるだけで、その方の人生はその瞬間に幸せに変わる』とも。私は看取りの活動をするなかで、常にこの言葉を心に刻んでいます。ですから極端に言えば、もし介護ができず臨終の宣告時に立ち会えなかったとしても、最期の瞬間に旅立つ人のそばにいられたらそれでいいのです。
老親の介護をしたいと思っていても、現実となると仕事や自分の家庭の事情などから、そうもいかないというのが現代の悲しい風潮。それで、どこか後ろめたい思いを抱えている人も多いと思うんですよね。でも、1週間付き添っていればいいということなら誰でも気が楽になりますよね。まして最期の瞬間だけでもいいのなら、救われる人がどれだけいることか。ですから、できればせめて臨終の時にはその方のそばに行き、体が温かいうちに抱きしめましょうと。
体が冷たくなってからでも抱いたほうがいいんです。何故かというと、残された家族にとってのグリーフケアを完成させるには、やはり触れることが重要だから。体で感じないとなかなか喪失感って克服できないんですよ。

グリーフケアというと、私たち看取り士メンバーの一人が話してくれたこんなエピソードがあります。彼女があるホスピスの看護師をしていた時のこと。ある女性が亡くなった後にまず自分が抱き、それからご家族に代わる代わる抱いてくださいと促して、ゆっくりとお別れをしてもらったんだそうです。翌朝、ご家族が故人を連れて帰られたんですが、その時に彼女が見た光景に感動して電話をかけてきてくれたんです。『柴田さん、私はもう何十年もホスピスで旅立つ方を見送ってきましたが、あんなに皆で素晴らしい笑顔をしているご家族を見たのは初めてです』と。

胎内内観※6によってグリーフケアを行ったケースもあります。自分が旅行に行っている間にお母様が自死をされたある女性は、それからというものずっと自分を責めて生きておられたんですね。でも胎内内観によってお母様の魂と重なったことで、それまでの鬱々とした気持ちがすっかり晴れたと、人生を元気に歩んでいかれるようになりました。

それから胎内内観を通じて、家族の看取り直しをされた方もいらっしゃいます。それは40年前にお父様に旅立たれた看護師さんで、看取り士の研修生でもありました。当時彼女は7歳で、家にお母さんもお兄さんもいないという時にお父様が台所で倒れます。その後、救急車を待つお父様から一言『大丈夫かい?』と聞かれたらしいのですが、返事ができないままお父様は搬送先の病院で亡くなるんですね。彼女はお父様と死に別れてから何年経ってもその場面をずっと覚えていて。父は私に一体何を聞きたかったんだろうという疑問をずっと持っていたんですね。

それで胎内内観をして、当時のことを思い起こします。その時、現れたお父様に『何に対して大丈夫って聞きたかったの?』と聞くと、『一人になるけどお留守番するのは大丈夫かい?』って仰ったんだそうです。彼女が大丈夫よと答えたら、次のシーンに出てきたのはお通夜の日、自宅で白い布をかけて眠られているお父様の姿。『お父さん、お父さん』と呼びかけるとむくっと起き上がって彼女を抱きしめたのでびっくりしたけれど、いま自分はこうして看取りをしている最中なのだと気付いたんだそう。そして、彼女を抱きしめるお父様に『私は大人になったから、一人ぼっちじゃないし、もう大丈夫だよ。お父さん、ありがとう』と伝えることができたというんですね。するとお父様は笑顔になってまた布団に入って眠りにつきました。お父様が離れた後、彼女の体が実際にとても熱くなり、魂を受け取ることを肌で実感したということでした。

※6.胎内内観……全てを肯定的にとらえ、旅立つ人の愛や思いを受け入れるために行うワーク。柴田さんが福岡の内観道場「感性塾九州」で10回以上経験した内観に、自身の看取りの経験を合わせた独自の手法で、とくに母親との繋がりを重視した内容が特徴。

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