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第18回
木村さんの口から出てきた「降りる」という言葉から、読者の皆さんの中にはもうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、実は木村さんは天から啓示を受けてアジュの化粧品を作っていらっしゃるんですよね。

そのあたりを含めて今からじっくりとお話を伺いたいと思います。まずは、アジュの化粧品を作られることになったきっかけから教えていただけますか?
はい。簡単に言うと使命に目覚めたことがきっかけ、といいますか。私が世の中に何かの変革を起こすには、まず資金が必要になる。そのために私ができることは何だろう?と考えたとき、化粧品作りから始めるのがいいだろうなと思ったのです。というのも、私は16歳の頃から美容師の見習いに入り、それから今に至るまで長年美容業界に携わってきましたので、現場で実際に見聞きしたことやこれまでの経験を活かせますから。でも何より、上からのメッセージに従ったというのが一番大きいですね。詳しくは、そもそも私が生まれる前からの経緯がありますので、ちょっと話が長くなりますが(笑)。
早速ディープなお話ですね(笑)。はい、ぜひ詳しくお聞かせください。
人間が生まれる前というと誰しも皆、魂の状態でいますよね。その魂というエネルギー体が天から下に降り、心とセットになって肉体の中にすぽっと入ります。そして、オギャーッと泣くことで晴れて人間になるんですね。私はその魂の状態から肉体に入るまでのことを全部覚えているんですよ。そこで、まず私が魂の状態でいたときのことからお話しします。

私が最初に見たもので面白かったのが、生まれる前のいろんな魂がどこに降りていくのか順番待ちをしているという光景。とくに日本に生まれたいという魂が大行列を作っていたのは印象的でした。
日本は何か特別な国だということなんでしょうか?
そうですね。日本はやはり選ばれし国というか、神の領域だということでしたね。でも、未熟な魂は生まれて死んで天に戻って、また生まれて……というサイクルを何度も繰り返して進化をしていかなければいけない。となると日本に生まれるのを待つ時間がもったいない。だから、先に転生希望者が少ない国に行って修業をし、魂のキャパを大きくしてから日本への転生に再トライする、ということを選ぶ魂もいるようでした。

そして魂もだんだん成長してくると、今生はこういうことをしたいと魂自体が目的や使命を持って降りてくるようになるんですね。その場合、天界にいる髭の生えたおじいさんが、個々の魂がどこに生れ落ちたら役割を全うできるかという最適な場所を探して、そこに生まれるよう采配を振るうんです。つまり、自分で親を選ぶことはできないという。
そうなんですか!?よく子どもは親を選んで生まれてくると聞きますが。
私が見た限りでは、おじいさんが親を決めていましたし、この世に生まれる目的や使命についてもそうでした。要は、個々の魂というのは地球にとっての1つのパーツのようなものらしくて。
つまり地球が、もしくは神様と言い換えてもいいかもしれませんが、その存在がある一つの壮大な目的を果たすための役割というのが個々の魂にあって、それが一人一人の使命になっているということでしょうか。そして、パズルのピースのように、その役割を果たせるところに生まれてくるという。だから親も使命も自分で選んでいるようでいて、実は全て決められている、ということなんでしょうか。
そうです。まあ、「今日は何を食べよう」とか「この人と結婚したい」とか、そのくらいのことは自分で決めることができます。でも、それを選んでいるのは「心」の部分であって、「魂」が選択しているわけではないんですよ。心と魂って別物なんですね。どちらかというと魂はプラスエネルギーで、心というのはマイナスエネルギーで設定されていて。その二つが合体して人間というものが生まれていると。その核にある魂は、いわば「地球の幸せ」のための一個のパーツであるという。そんなことを上の存在から教わりました。
木村さんは日本に生まれる行列の中にいらしたんですか?(笑)
いえ、それが違うんです。日本の前には多くの魂が行列していたけれど、私はそこに並んでいたわけではありませんでした。でも、天界のおじいさんに「日本にいるこの両親の元に生れなさい」と言われまして。それを聞いた途端に、私は絶対に嫌だと拒否したんです。なぜなら、私が上から見ていたときに、「この両親の子どもに生まれたら、普通の人生を送ることができない。私はみなしごになってしまう」と思ったからなんですね。するとおじいさんは、「確かにここに生まれたらこういうしんどいことがあるけれど、それをやり終えたらすごい幸せな人生を与えてあげる」と。それでも嫌だ嫌だと抵抗していたら、何と杖で下に落とされたんです(笑)。
ええ~っ。その頃のことをずっと覚えていらっしゃるんですか。
はい、覚えています。赤ちゃんのときのことも記憶にあります。裸になった私の横にボウリングのピンを立てて写真に撮られながら、「何でこんなふざけた写真を撮られなきゃいけないんだ」と思っていたりして(笑)。

まだ幼稚園に行く前あたりだったでしょうか。私は両親というより祖母に育ててもらっていたんですが、祖母が病気にかかったときに、近所の皆さんにお世話になっていたことがありました。大人が忙しいので私はいつも一人でおもちゃも持たずに外で遊んでいたんですが、そんな私の姿を見て気の毒に思った近所のおばさん達が声をかけてくれるんですよね。私はそのたびに「もうじき本当のお父さんとお母さんが、赤い綺麗な靴を持って真っ黒い車で迎えに来てくれるのよ」と言っていたんです。

自分はここに生まれてくるはずじゃなかった。もっと裕福で環境のいいところに生れる予定だったのに、何でこんなところに生れ落ちたのか、という感覚をずっと持っていたんですね。今思えば本当に子どもの頃から変わった子でした。祖母は多くの子どもを預かって子守の仕事をしていた人でしたが、私が大きくなってから「お前だけは育てにくい子どもだった」と言っていましたね。
確かにそうでしょうね~。生まれる前からの記憶を持っていて、どこか悟っている様子の子どもなんて、大人にとっては対応が難しかったかもしれませんね。

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