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  3. 私たちに必要なのは自分自身に対する共感なんですね。

第19回
身体の変化ということで思い出したことがあります。ある女性の参加者さんがお腹を切って臓器を取られるという手術をされました。手術後の痛みが激しく七転八倒するような痛みだったそうです。NVCのワークの1つに臓器に共感する、身体や細胞に共感するというのがあるんですが、身体の声を聴いてみると内臓が嘆いているのを感じたそうです。「なんであの臓器を取ってしまったんだ。自分たちの大切な仲間がいなくなったことにどう責任とってくれるんだ」という痛みや嘆き、悲しみが伝わってきました。コヒーランスするとその怒りから痛みが来ていることに気づいたそうです。そしてコヒーランスしながら「辛かったねー、仲間を失わせてごめんねー。辛かったのは仲間が大事だったんだね、大切にしてほしかったんだね」と細胞や臓器に共感していくと、その痛みがサーっと嘘みたいに引き、次の日は痛み止めがなくても過ごせるようになったそうなんです。

頭で考えると、こんなことあり得ないじゃないですか。痛みは薬がないと止められないと思いますよね。でもそんな左脳的な考えじゃない発想や気づきが沸いてくるんです、ハートに聞くと。私たちに必要なのは自分自身に対する共感なんですね。自分がどれだけ傷ついているか、嘆きや痛みを抱えているか。そこに本当に繋がっていく。痛みも知ってほしいから痛みを発しているし、病気も何か知ってほしいから病気になっているのかもしれませんね。それに対し「そうだね。辛かったね、悲しかったね。これまで分かってあげられなくてごめんね」と共感することで変容が起こってきます。
私たちホリスティック医学を学んでいる人間は、割と簡単に「身体の声を聴く」って言うんですね。でもホントのところ、聴き方をよく知らなかったりするんです。でもコヒーランスって、HOW TOとしてやり方がきっちり確立されているので、聴き方が分からないという人に伝えられる、すごくいいメソッドですよね。
だから腰が痛いという時にでも「腰さん、何か言いたいことがある?」と聞くといいです。細胞はよく喋ってくれますよ。痛みだけではなく、違和感や内側にある何かモヤモヤしたものにも聞くといいです。身体でも仕事でも、言葉にできない「何か」があったら、その「何か」に聞いてみると喋ってくれます。コヒーランスして少し落ち着いたときに聞くと、ものすごい出てきます。仕事だと、その組み合わせは思いつかなかった、そんな価値があるなんてそれまで知らなかったという革新的なアイディアが出てきたりします。
テンプルのお客様は健康と同じくらい不思議なお話しが好きな方が多いので、スピ系、不思議系のエピソードはないですか? ここまででも十分不思議ではありますが…。
これは私の体験ではなく参加者さんに起こった出来事ですが、コヒーランスをして洞察を得る方法をある参加者さんにお伝えしました。するとその夜、その方が寝ているとき、その方の心臓がパカッと開いて天から手術チームが降りてきて、心臓の入れ替え手術をされたそうなんです。その時にこれまで自分が知りたかったこと、これから知るべきこと全てを知ることができたそうです。人は亡くなるとき走馬燈のように自分の人生を見せられるといいますよね。そんな感じで色んなことが全て分かったと言っていました。もともとスピリチュアルなことを仕事としてされている方だったんですが、コヒーランスがキッカケとなって起こったみたいです。

これはかなりぶっ飛んだエピソードですが、ここまででなくても、夜寝る前、ハートに「いま私が知っておくべきことはありますか?」と聞いて寝ておくと、翌朝、通勤の時や家事の時にふと閃くということはよくあります。ハートに聞いておくと、だいたいのことは分かってくるというのが私の実感です。答えが得られないときには、今はそれを知るタイミングではない、ということもなんとなく分かってきました。他にもシンクロニシティがよく起こるようになった、というのもありますね。
洞察って、深くそのことについて考え続け、そのあとで分かる気づき、というふうに意味をとらえていたんですが、コネプラでいう洞察は、左脳で考えることを明け渡し閃きを待つって感じですよね。
洞察って本当にすごくて、時に、いったいこのアイディアはどこからやって来たのかとびっくりするようなことがあります。予言や予知のような洞察がもたらされることもあるんです。私の体験を1つご紹介すると、2年前、アメリカにコネプラの試験を受けに行きました。サンフランシスコへの直行便が取れず、バンクーバー経由で行くことになったんですが、乗継の飛行機が遅れ、いったい何時に離陸できるのか分からず困ったなぁと思っていました。「こういうときこそコヒーランスだ」とやってみたら最初に出てきたイメージが富士山。意味が分からないので「どういう意味?」とまたコヒーランスで聴いたら「大丈夫だからコーヒーでも飲んでゆっくり待ってて」というものだったので、コーヒーを飲みながら乗継便の到着を待ちました。ようやく乗った飛行機は、乗っている時間は短いですがカナダからなので国際便なんですね。そして何故かその飛行機で日本の映画が見られたんです。それも松竹の。だから、どーんと冒頭に富士山が出てきて「これかー、洞察、面白すぎー!」と思っていたんです。試験のとき、自分の洞察で面白いエピソードはあるか?と創始者のリタマリーに聞かれたので「いや、それが、富士山がね」と、さっそく披露したのは言うまでもありません。

何故、富士山が洞察で出てきたのかを後から考えたんですが、当時、コネプラはまだ誰もやっておらず、そして私も始めたばかりで「洞察って、私の考えじゃないのかな?」と思うところもあったんですね。本当に自分の考えを超えたところから来ているのか確信がまだなかったんです。その私の洞察に対する確信の無さに対し「違うよ、洞察はあなたの考えじゃないよ」というメッセージだったのではないかなと今は思っています。

それから2年間こうやって伝え出すと、いっぱい同じような体験談を聞くようになったんですね。例えば、洞察のワークを一緒にやった参加者さんが「やっと相手に対し思いやりの心を持てるようになりました」と言ったとたんに、その相手から電話がかかってくるとか。「何故このタイミングでー!」と一緒にいた人は全員鳥肌ものでした。そんなふうに、ありえないタイミングで物事が起こったりするんです。あるいは、グループでワークをすると、こっちの人の洞察が相手の人の解決策になったり、全く意味不明のビジョンが他の参加者には号泣ものの意味あるビジョンだったり、人は繋がっているとしか思えない出来事もたくさんありました。

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