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第8回 「真実の自分になる」ということが、コーチングをはじめとして、私の全ての仕事でやっていることです。
子どもの頃から、サイキック能力があったということですが、仕事としてリーディングを取るようになったのはいつ頃で、どのようなきっかけで始めることにしたのですか?
私はいつも教師として仕事をしていました。アメリカ文学や作文法、コミュニケーションなどを教えていました。インディアナ州立大学、イリノイ州の南インディアナにあるボール州立大学、バージニア州のオールドドミニオン大学で教えていました。オールドドミニオン大学は、1986年~1998年の間在職していました。

でも1998年の少し前から「私はアメリカ文学やコミュニケーションなど、これまでと同じことを教え続けるのは、やりたくない」と思うようになったのです。それ以前は、アメリカ文学やコミュニケーションを教えることは大好きだったのに。そして自分が変化することに準備が整いつつあることを感じたのです。

その頃、私はとてもエネルギーに興味がありました。エネルギーを学ぶために、いくつかのプログラムも取りました。「スピリチュアル心理学(Spiritual Psychology)」を学ぶためにウィスコンシン州の学校にも通いました。そして、霊的なことを話題にし始めるようになったら、またエネルギーが、簡単に見えるようになってきました。実は、私のこの能力はしばらくの間、閉じてしまっていました。少しは見る事はできていましたが、アメリカ文学を教えていた頃は、その生活とサイキック能力が合わず、使っていなかったので閉じていたのです。

スピリチュアル心理学の会議に参加したり、教師としての資格を取得した頃、ウィスコンシンで大学教授をしている友人が「シンシア、あなたの能力はすばらしい贈り物ですよ」と勇気づけてくれました。また、レイキの先生にも出会い、彼女も私を勇気づけてくれました。

「このまま大学で、教えたいかどうか分からない」と悩んでいた頃、ボスニアに行くことになりました。もともとは、姉が一人でボスニアで開催される「世界平和に向けてのお祈り」に参加するつもりでした。

ある朝、姉から「私、お祈りのためにボスニアに行くことにした」と電話がありました。姉はその当時、主婦で仕事をしていませんでしたので、私が「じゃあ私がお金を貯めて、行けるよう応援するね」と伝えました。でも、私も行きたかったのです。その時、突然ひらめきのようなものが降りてきて、姉が「一緒に行かない?」と聞いてきたので、なぜだか分からないけれど「はい」と答えていました。理性的に考えると、理屈にあわないので、直感だと思います。「行かなくてはならない」気がして、実際にボスニアに行きました。

10日間、あるクロアチア人家族の家に滞在しました。世界中から約8千人もの人が参加し、世界平和のためにお祈りをしました。英語を話す人は少数でした。11の違う言語が話され、通訳されていました。

木曜日の夜のことです。3千人もの人が教会でお祈りをしていました。牧師さんが「みなさん、手をつないで世界平和のために祈って下さい」と言い、みんな手をつないでお祈りを始めました。

すると、私には映像が見え、その映像が私の人生を変えてしまいました。その経験が、私がエネルギーに関する分野で、プロとして働くきっかけになったのです。

私が見たものは、今、私がロゴマークとして描いてるハートの絵のイメージでした。イメージの中で、顔は私にはよく見えなかったのですが、年配の女性がマントを着ていました。時計はハートの形をしていました。そのハートは、彼女のハートで、違う人種、国籍の人々がそのハートから飛んで出てくるのが見えたのです。

涙が溢れ、泣き出してしまいました。私の人生を変えるものだと分かりましたが、何を意味するのかは分かりませんでした。その後も私たちはお祈りを続け、そしてアメリカに帰りました。

私は「もう大学での仕事に戻ることはできない。もはや以前の私ではない」と感じていました。でも、何をしたらいいのか分かりませんでした。なぜなら、その時点では、 私が今やっているようなプログラムを明確にしてはいなかったのです。

でも、友人たちには「1年後の1998年には、 私は人々が自分のハートから自分を導けるようになるための仕事をしているからこの大学にはいないでしょう」と言っていました。

ノーフォークに場所を借りました。1年間「イメージに出てきたハートの概念、コンセプトは何ですか?私は何をする必要がありますか?」と瞑想の中で問い続けていました。ある日、ただ座っただけでチャネルした状態になり、約20分で概要が出来上がり、このパンフレットが出来上がったのです。

信じられないかもしれませんが、当時はお金もありませんでした。私にとって、自分で仕事を始めることは簡単ではありませんでした。でも自分のハートに従い、危険を冒さなくてはいけなかったのです。

友人が「シンシア、ただジャンプすればいいんだよ。山からジャンプしてはどう?」と言ってくれました。私は「でも足がちゃんと地面につくか、確かめてからジャンプしたいの」と答えると、その友人は「なんで足が地面につかなくてはいけないの? 飛ぶんでしょ?」と言ったのです。この言葉が、私の人生を変えました。私は「あ、そうだ。飛ぶんだ。何が起こるか知る必要はない。単にやればいいんだ」と思ったのです。

この仕事を始めて15年になります。地元の人々だけでも、約2000人の人生のお手伝いをしています。ヨーロッパ、パリ、オランダ、イギリスでプレゼンテーションをしたり、ペルーやアイルランドで勉強したりしました。私は先生であり、生徒でもあります。学ぶ事が大好きなのです。学べば学ぶほど、より楽しくなります。そして、もっと人々を助けたくなるのです。私の使命は、人々を奉仕することです。
今はこの「ハートリビング」のプログラムをメインに教えていらっしゃるんですか?
多くの人が、このハートリビングのプログラムを気に入って取り続けてくれています。それでハートリビングクラスのパート2を作りました。「変容に対する知恵(Wisdom of Transformation)」というタイトルで、ハートリビングと同じ8週間のプログラムです。多くの人がパート2を取って下さったので、パート3「情熱と目的(Passion and Purpose)」も創設しました。

基本的には、週に1度のクラスを8週間続け、しばらく休んだあと、また8週間のクラスとお休み。そしてまた8週間…。ほぼ1年間をかけて行う内容の濃いクラスです。

しかし、このプログラムの内容全部ではなく、ハイライトだけを集めて、海外やアメリカの軍で1日のクラスとして行うことがあります。海軍の女性の1人が私のワークショップを取り「軍の人たちにも必要だ」とクラスを軍でやって欲しいと要請してきたのです。

海軍ではそのクラスを「Leading from the Heart」と呼び、男性も女性もとても気に入ってくれています。

私は多くの人に「生き生きと、自分の人生を生きて欲しい」と思っています。そしてこれが、私のゴールでもあるのです。つまり、何かを「したり」「所有する」だけでなく「存在」すること。情熱を持って自分の人生を生きて欲しいのです。毎日「聖なる人生」を生きて欲しいのです。これが私のゴールです。私の仕事は、全てこのためにやっています。

この他にも30種類くらいの1日のワークショップを15年間ずっと続けています。月に1回、30種類のうちの「1日ワークショップ」を循環させています。

最近「幸運の原理を学ぶ」「意図的に自分の人生を創る」を行いました。少人数で行いたいので、最高でも定員は11名としています。E-mailでワークショップのお知らせをするのですが、1日で満席になってしまいます。とても人気があります。

他にも「ブッククラブ」があり、毎月参加者が指定した本を読み、クラスでその本の主旨を教えます。このクラスは20人ほどですが、こちらも人気があります。ワークショップの他に個人セッションもあるので、とてもとても忙しいです。

1日のワークショップには男性も来ます。多くの場合、男性と女性が来てくれます。女性は特に個人的なことを話す機会、場所が必要です。そのような場合は、私は女性だけのクラスを好みます。でも、軍でやったように、男性と女性がいる環境でもできます。

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