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  2. 21世紀に生きるエドガー・ケイシーの教え
  3. 第9回「自分が大事にしている曲と同じように、何かオリジナルな曲を一曲でも作ったことありますか? それを人生でやりなさい、ということ。僕は神戸元気村での7年半では、そういうことをずっとやってきた。」

第8回 「真実の自分になる」ということが、コーチングをはじめとして、私の全ての仕事でやっていることです。
バウさんは、いつも直感に従って動いている印象がありますが。
北海道のカヌーツアーのとき、なおちゃんたちに話をしたと思うけど『タナの話』を覚えているかな? タナが死ぬところを目撃したの、僕だけだと思う。
ちょっと待って下さい。タナって確かバウさんを導いている天使みたいな存在でしたよね。
タナは東京に住んでた。新大久保に石井という大きなスポーツ専門店があるんだわ。カヌーの注文があってそのショップに配送したとき、お客で来ていたタナと知り合った。確か僕より3~4歳年下だったと思う。山のことを色々教えてくれたのもタナだった。彼は一緒に行った山の事故で亡くなってしまったんだけど、そのタナが教えてくれる。『ヒロシマ』とか単語で・・・。そういうふうに思い込んでいる。
タナさんが導き手になっているという感じですか?
疑いも何もしない。タナの声が聞こえてくるわけでも、文字でもない。でも分かる。ヒロシマのときには漢字でも平仮名でも、あるいは誰かに「広島」と言われた感覚でもなく、カタカナの感じだった。気がつくか気がつかないかの感じで分かる・・・。
直感というより、何かが伝わってくる感覚でしょうか。
それを一方的に掴んでいる感じかな。
タナさんが亡くなる前にはそんな感覚はなかったんですか。だとすると、直感とは少し違うようですね。
そうだね。
いま自叙伝を皆さんに書いていただくプロジェクトを始めていらっしゃるそうですが、それ以外に、やろうとしていることはありますか?
南相馬でやろうとしているのは『3月10日』。福島の人たちに3.11の前までの生活を書いていただこうと思っています。その物語のいくつかは映画化まで持っていこうと思っている。タケちゃんには『3月10日制作室長』という名前を渡している。あとはいい脚本家とプロデューサーがいれば、いい画像が出来上がってくると思う。原発反対!という感じではなく、静かな家庭を描きながら、最後の晩ご飯をこういうふうに食べたとか、そういう物語を・・・。100人書いたら、福島の歴史ができると思う。今だったら政治家やマスコミの歴史観だけが残ってしまう。市民の歴史は残していかないと消えていってしまう。

あと自分の自伝も書こうとしている。これまでやってきたことを書き残しておこうと。タナのことは小説みたいにしたいと思っている。
いまの日本を見て愁いていることなどありますか?
一番身近なところでいうと、早くテレビは止めたほうがいい。習慣でスイッチを入れてしまうのを。ラジオのほうがまだマシ。

あと自衛隊に福島の廃炉の仕事をやらせたい。東電の下請けの下請けの孫請けの・・・といった民間のお金と言いながら政府のお金を使って行う廃炉のあやふやさ。僕は自衛隊は不要と思っている人間だけど、自衛隊の人に1ヶ月交代くらいでやってもらうとか、いまは国家の存続の危機だから自衛隊が動かないとだめだと思っている。
バウさん、これまでの過労が積み重なって、今現在は透析が必要な体調になられています。身体のことをお聞きするのは申し訳ないですが、いつの活動のときに体調を悪くされたんですか?
阪神大震災のときに、何かおかしいなと思い始めていた。六甲に大きな病院があって、そこの看護婦さんがよく炊き出しの朝ご飯を食べに来ていた。「一度先生に見てほしいと言っておいてくれる?」とその看護婦さんに頼んでいたら、バス型の移動診察所みたいなのを元気村の横につけてくれて、住民の人と一緒に健康診断をしてくれた。そのとき糖尿だということが分かった。ストレスが原因だと。眠れないとか次のことを考えないといけないとか、いろいろあったし。簡単にいうと、常に何千人という人をコントロールしていくわけだから。
9.11のときには、やはり軽トラに一人で乗って、夜はハンドルを枕にして寝ながら、全国を9.11の映画を持って自主上映に廻られていましたよね。あのときは、すでに体調を悪くされていたんですか?
そう。たくさん人間がいるのに誰もやらないから。軽トラだから横になれるハズもない。神戸元気村のときには、その六甲のクリニックの院長先生が、昼間の仕事はここでしていいから、夜は自分のクリニックに来てゆっくり寝て下さいと言って下さった。でもそんな時間もなかった。
一度、ガンも見つかったそうですが、それは自然治癒されたんですよね。
治癒という意味ではしてない。でも進行もしていない。いつ死んでもいいと思っているし。でももう少し自分史のことをやっておきたいから透析を受けている。
まだまだバウさんには教えていただきたいこと、喝を入れていただきたいことがたくさんあります。もう少しだけ私たちのために頑張って生きて下さいね。

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