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  3. 第15回「自然な形での死の過程を経ていくと、その人がエネルギー体になっているというか、肉体よりも違うところに入っているような、そんな感じがしてきます。」

第15回
癌を含め、在宅でのターミナルケアの際、痛みに対してはどのような医療介入ができるのでしょうか?
癌性疼痛など癌による痛みが出てきた場合には緩和医療などの処置ができます。緩和医療についてはいろんな勉強会があったりします。うちのクリニックが幸いなのは、日本でもトップクラスの緩和医療の教授が週に1回、個人宅やホームを廻っていて、私も院長もその先生から癌性疼痛など様々な対処法を学ばせてもらっています。公開講座や講習会への参加もしています。

癌の種類によって痛み止めが効く、効かないということもありますし、転移があるかどうか、転移した部位はどこか、ということも関係してきます。ただ独居の場合は厳しいところがあります。「痛い」と言葉に出して言ってみても、そこはシーンとした空間。ヘルパーさんが時間になったら来てくれるけれど、痛いときに痛いと言って「大丈夫ですよ、お薬飲みましょう、少し様子を見ましょう」という人とのコミュニケーションができる環境でなければ、どんなに私達がこのお薬のセットで行けそう、という手応えがあったとしても、痛みを耐えられない・・・とホスピスに入院されるというケースがあります。
独居でなくとも、例えば年老いた奥様をやはり年老いたご主人が介護しているというお宅もありますよね。チームワークを組む体制がないと、在宅は難しくなりますか?
可能性はゼロではないですが、やはり難しくなります。体を支えたり服を脱がしたり着させたり、一人ではかなり大変なことも多いです。それは若い方であっても大変ですね。私たちもご自宅に行った時に「あれ、うんちの匂い?おむつを替えましょうか?」と在宅看護師と一緒にケアさせてもらうことがありますが「え、これ、ちょっとここ持って!足の位置気を付けて!」とか、力がある介護者であっても大変なことってあります。ご病気で麻痺があったり癌でお腹にお水が溜まったり、体全体が浮腫んで皮膚が傷つきやすくなっていたり・・・患者さんの状態にもよりますが介護をする、というのはやはりマンパワーが必要だと思いますね。あと、介護者の方の精神的ケアも必要です。「自分が介護できなかった。ケアをしようとして反対に痛い思いをさせてしまった」とか。患者さんだけではなく、介護をしていくご家族や介護者の方々の心の状態も関係してきます。

先日、肺がんで転移をしている独居の方のお宅に行きました。最初は2週間に1度ということだったんですが、もう来ないでよ、と言われて・・・。痛みが続いたのでお薬を切り替え、訪問看護ステーションの看護師の方が本当に一生懸命にお世話をされていたんですが、突然痛みがひどくて起き上がれないから入院したいということで緊急に往診に入りました。その方は骨転移もあったんですね。癌性疼痛の悪化です。癌が背中で大きくなったりすると、脊椎神経を圧迫し足の力が入らなかったり痺れが出たりして強い痛みが出たりするので、それが出てしまったんだと思いました。それは痛くて辛いだろうと。痛み止めをベッドの脇にセットしてもらったけど、やはり一人だから難しいんです。飲み物だけでも、と思っても、やはり一人だと寝た体勢で飲み物を取るというのも大変なんです。

「入院させてほしい」「分かりました。でも今週末ですぐには入院できない。違う痛み止めを処方するので週明けまで頑張ってほしい」とクスリを処方しました。

ところでなんで腰が痛いのかしらと思ったら本人が「ぎっくり腰をやってしまってよ~」なんて言っている。「え~、ぎっくり腰なの?この痛みは」と思ったけど、本人ではその区別はつかない。密かに癌が進行していることも考えられる。それになによりご本人が一人で生活できる状況ではない、食べられないしポータブルトイレにも立てない。そんな状況ではやはり厳しいという判断で入院してもらうようにしました。その方は今週病院で亡くなられました。ケアマネージャーさんが往診や訪問看護の手配などをしていたんですが、そのケアマネさんが、本当にいいタイミングで入院できて良かったとおっしゃって下さいました。一人暮らしでトイレにも行けない状況はやはり辛いですよね、と。
一人というのはやはり辛いですよね。不安もあるでしょうし、死に至る過程を一人で受けとめるのはなかなか容易ではないですよね。
その方のお宅はコンクリートむき出しの昔のトイレが玄関の真横にあったんです。しかも段差もあり・・・。それが苦痛で、最初は入院させてくれ、入院させてくれとずっと言われていました。最初は痛みのために入院したいのかと思っていたら、よくよく聞いてみると「あのトイレであの格好で出来るか」というわけですよ。それですぐにポータブルトイレを置かせていただきました。これだったら大丈夫ですね、という環境にすることで最初の入院は免れたんです。環境を整えることは本当に大切です。

一緒に悩んだり、聞くだけしか出来なくても話を聞いて、そして何かあったときにはすぐに顔が見える・・・。それがあの男性の最期にとっては必要だったなと思います。
今のご老人というのは、明治大正を力強く生き抜いてきた方ばかりなので、本人は死にたいのになかなか死ねないということがありますよね。私はエリザベス・キューブラー・ロス博士のご自宅に2度ほど行かせていただきましたが、あの先生が最後に苦しまれたことは、自分がまだ生きている、ということだったように思います。ターミナルケアの専門医だったにも関わらず、世話を受けながら生きている自分を受け入れられなかった。自分は死ぬ準備はとっくに出来ているのに迎えが来ない、そのことに怒りを持っていらしたと思います。『じゃあ、博士が亡くなったらハッピーバースデーを天に向かって歌って博士の死をお祝いします』『ぜひ歌って』と約束を交わしたこともあり、歌いましたよ、博士の死を知ったとき空に向かって。
私は博士は納得していなかったのでは?と思います、死を。どうして迎えに来ないの?と言われるんですが、まだ納得していない何かがあるんじゃないかなと感じることがあります。死にたい、死ぬ準備が出来ていると言われていても、まだ生きたいという思いがそこには漂っている気がします。
ロス博士の場合、死の受容プロセスのどこかで止まっていたのかもしれません。
日本の方と死の受けとめ方が違っているのかもしれませんが。ロス博士の場合には世界的に有名になられていたので、有名であったということが引っ掛かりになっていた、ということはないですか?
それはないと思います。FEDEXの方が配達の途中で毎日様子を見に来ていましたが独居でしたし孤独だったと思います。もちろん看護婦さんやヘルパーさんが最初は来ていたんですが、あまりにロス博士の気が強いので、ヘルパーと喧嘩になってしまったようなんですよね。博士を慕ってサポートに来ている方はいたとは思いますが、毎日24時間体制で博士の世話をしている、という方はいらっしゃらなかったと思います。

私が博士のことを推測するなんてことは出来ませんが、強い怒りをお持ちなのは感じました。というより、遠慮無く、誰憚る(はばかる)ことなく怒りを表現していらっしゃいました。
最期の最期、自分が主導権を握ることができない、その怒りはあったかもしれませんね。
どなたかの本で読んだんですが、博士の最期は、あっけないほどあっという間だったようですよ。
そうなんですよね。不思議なタイミングなんですよね、人の死って。肺がんで脳転移された方が、息子さんが会社に行っていて、お昼すぎくらいにご家族から連絡があり往診に行きました。「息子さん、お帰りは何時くらいですか?」「今日は早く帰ってくるように言います」という会話があって、いったん私達はクリニックに戻ったんですが、夕方5時すぎくらいに電話があり「呼吸が止まりました」と。すぐにご自宅に向かったんですが、息子さんもそこにいらっしゃいました。「間に合ったんですか?」ってお聞きしたら間に合って「お父さん!」と声をかけたら、その声に反応したあとに息を引き取ったと。息子さんの帰りをお父さんは待っていたのかもしれないですね。
その反対に、何年も付きっきりで世話をしていたのに、ちょっとお茶を飲みに行った間に亡くなってしまったりするんですよね。私の友人でそういう体験をした人が何人もいるんです。ずっと看護していたのに最期の時にそばにいられなかったと長く悔いが残り、心の整理が大変そうでした。あまりに愛情が強かったり、死なないでほしいと家族が思っている場合には、一人になるタイミング、その家族がいなくなるタイミングじゃないと亡くなることができなかったんだと云う人がいます。でも残された家族は辛いですよね。
『私がいなかったらこの人はどうなるんだろう、どんなに悲しむだろう』と思いすぎていると亡くなりにくい、『私がいなくても大丈夫ね』と感じたときにフッと亡くなられる方もいらっしゃるのかなと思います。『私が目を離したほんのちょっとの隙に亡くなったんです』と言われるご家族には、私もそのようにご説明します。『もうあなたは大丈夫ね』と患者さんは思われたんじゃないですかと。なかなか受け入れてもらえないときもありますが。

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