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  3. 第12回「なぜなら私達1人ひとりには、今いる場所において、特別な使命を持っているということ。これは私たちが想像できる何よりも素晴らしい事なのです」

第12回
 グラディス先生ご自身はひまし油をどのようにお使いですか?
継続的に行っているのは、肝臓あたりにひまし油湿布をすること。これを週に3日行っています。3日行って4日休むと言うスケジュールになっていますが、この3日間は温熱パッドを使用することもあるし、しないこともあります。便秘や腹痛、胃酸過多による腹痛等には温熱パッドをすることは有効です。これはもちろん肝臓の機能促進にも有効です。

ほかにも何かで怪我をした際や、虫刺されでも(*肝臓のある部分に手をあてながら)、肝臓のある箇所にひまし油湿布をあてると痛みは軽減しますね。これは、また同じ説明になりますが、リンパ管を通じてひまし油がそれらを癒してくれるわけです。私はひまし油をよく使うので、常に家に置いてあります。
以前、グラディス先生の墓標にはひまし油湿布のことが書かれる予定だと言われていましたよね・・・。
あれは私の子供たちが言ったのよ。私の墓標に『ひまし油があったにもかかわらず彼女は亡くなってしまった』と書くと。

長女のアナリアが大学生の時、顔がかぶれてしまったことがあったの。その時、私がひまし油を使うように言ったんだけど、したくないって聞かなくて、ほかの薬だとか塗るものでなんとかしようとしたのだけれど、どうにもならなくてやっとひまし油を使ったら、かぶれが無くなったのよ。それから他の娘たちもひまし油を使うようになったの。
ひまし油湿布のほかに、いま健康のためにしておられることはありますか?
頭の中をクリアに保つこと、歩くこと、睡眠をとること、正しい食生活、そして友人を多く持ち、忙しくしていること。私は幸せよ。
1920年生まれのグラディス先生に『年を取ること』について、お聞きしたいのですが。先生は、年を取っていくことをどう感じられていらっしゃいますか?
願わくば賢くなっていくこと…(笑)。だってそうでしょう。年を重ねるごとに健康にはならないもの。かと言って、若い頃よりも年をとって良くなったこともあります。もちろん前より悪くなったこともあるけれど、相殺されているだけですから。私にとって年を取ることは、精神とハートに何を抱いて何をしているかであって、カレンダー通りの時間ではありません。願わくば、私の祈りが伴われて、40才だった頃よりも賢くなっていればよいなと思います。

40才の時に大事だと思っていたことが、今の私には何の意味も無かったり。他にもっと大切なことがあるから…。こうやって変化(シフト)するので、年を重ねるごとに賢くなることであれば良いと思うわね。
もう70才なのだから、80才なのだから、そういう服装はどうかしら?とか、もう若くないんだから、そんなこと無理、止めたら?などと、私たちは年齢でその人の行動に限界を作ったりしてしまいますが、先生はそういうことを感じられることはないのですか?
私は今のこの年齢が大好き。自分の着たいものを着ることができる。誰が私に着ちゃいけないっていうのかしら?誰も私から取り上げることは出来ないわよ、だって、もともと何も持っていないんですもの。何も増えないし減りもしない。だって、もともと何も持っていないのだから。成長しているだけなの。

これはヒンズー教の人たちが言うんだけど、"Joho Soho" 。起こったことは仕方がない、『過ぎたことは過ぎてしまったこと』って言うの。私の母が教えてくれたことがあるわ。

数年前に妹のマーガレットと話をしているとき、2人が事あるごとに、頭の上で手で空気を掴んではふるい落とすような仕草をするので、マーガレットが、なんでこんな事をするのかしら?って言い始めて、私も、なんでかしらと思いつつ、またしばらく話していると、彼女が「誰かがいつもこうやってなかった?」って聞いてきて「お母さんがやってた!」ってなったわけ。

それから2人で、これはどういう意味なんだろうって考えて、すると"Oh Kuchi Puruwani"って母が言っていたのを思い出したの。それはヒンドゥスターニー語で『どうでもよい』という意味。そういえば母は、起きてしまった事で彼女がどうしようもないことがあると、"Oh Kuchi Puruwani"と言い、そういうジェスチャーをしていたの。これは、来るものを手のひらで受け取り、それをふるい落とす感じ。拒否するのではなく、一旦受け取り、そして手放す。

だから、何か自分が傷ついたという事があったときには、そう、私も人生色々あったけれど、その度に知らない間にこのジェスチャーをしていたということがあるの。

これって太極拳の動きにもあって、受け取って放つ。手のひらを広げて受け取り、そしてそのまま手放す。でも周りにいる人は私が何をしているかなんて気がついていないわね。

何かが起こって自分ではどうしようもないことが起きたとき、傷ついたと嘆くより、一歩前に進んで人と話したり、もしくは出来ることがあれば、そうすればよいけれど、一旦は受け取って、そしてそのままそれを手放す。なぜならそれはそんなに重要なことではないのだから。

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