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  3. 第14回「人間は生まれたときは100%自然なのに、意識が身体を不自然にしてしまっているんです。それをほぐしていかなければいけません。」

第14回
中国書道を中心に学ばれたんですか?
そうです。でも日本の先生方からも沢山教えていただきました。そうした方々の書道理論やいろいろ学んだことを元にして天真書法塾を作ったんです。私は美術史をずっと学んできましたので、中国書道、日本書道と世界の美術史をドッキングさせたわけです。また私は武道をずっと教えてきましたので、その教授方法を使って教えています。また現代のラーニングシステムなども研究してフルに活用しています。

私の美術史と中国書道史と自分が新体道を通じて蓄積してきたもの、あるいは精神的にはキリスト教や神道、仏教なども渾然一体として出来たものが天真書法塾の思想なんです。

いま、皆さんにこういう思想で教えると上達速度が恐ろしく速いので本当にびっくりします。中国の国際書院展でもう260以上のグランプリや優秀作品賞をとっています。

これまでの新体道、今の居合い抜刀術である剣武天真流、そして天真書法塾など全てに共通するのは、天真思想と言って、天・地・人々・我一体の思想です。これは全宇宙を満たす生命エネルギーを、我々生きとし生けるもの全ての命の根元と見なして尊ぶこと。それによって造り出された地球・大地・全自然を愛し大切にすること。そこに生きる全ての生命を尊び、隣人を心から愛すること。そして自分はより健康に明るく自由になり、意識を解放し、思い切り人生を謳歌していこうということです。これが一番大切なことです。
そんな素晴らしい思想が書道を学ぶ根底にあるんですね。ときどき新宿西口のプロムナードで天新書法塾の書の展示がなされていますよね。今、開催中のようなので、私もあとで見に行かせていただきます。
はい、ぜひ行ってみてください。飯田橋の日中友好会館などでも行っています。生徒たちは素晴らしく上達しています。

時間軸をぐっと戻しますが、24歳くらいから5年間くらい、新しい時代の新しい武道を創ろうと目論んで楽天会という集いを創っていたんですね。ところがそこに集って熱心に稽古していた皆さんは私が立派な先生だと思っていたのに目茶苦茶なことをやるんで、愛想を尽かしてほとんどいなくなってしまったんです。私に愛想をつかした理由は皆さんそれぞれあると思います。よく、弟子達が修行を続けきれなかったと言う人もいますが、実はそうではないんです。正しくは時代が変わったのです。新しい文化が生まれ、成長し、爛熟して衰退するように時代が変わったのです。そうした時代が変わると、前の世代の人たちはついてくるのがとても難しく、みんな離れていくものなのです。

例えば光田さんが小学校のとき仲良かった人が中学校になったら離れていく、高校に行ったらまた新しい友人ができる。とても親しかったのに、卒業したら全くつき合いがなくなったりする。仕事でも、とても気が合い一緒に仕事をしていた人とも、その次、その次とつき合う人はどんどん変わっていっているはずなんです。あなたも相手も変わっていくわけですから。

私のところに昔の仲間が全然いないっていうのは間違いです。武道の岡田満先生や書道の新間佳代子先生とはもう50年以上も続いています。外国の会員も考えると、40年以上の稽古歴の人は20~30人はおります。ということは、青木が悪かったから離れたというのは単なる理由で、文化というものは人が交代していくんです。駕籠かきは人力車引きになってないんです。人力車引きの人も自動車のドライバーにはならない。違う人が出てきます。文化や時代が変わるにつれ、人は変わるんです。

人が変わりながら文化も時代も移り変わっていくんです。ということは楽天会の人たちは楽天会時代を終えたんです。29歳のとき普及のため総合武道連盟という名前で事務所を出したんですが、その時、すでに楽天会のかなり多数の人がついてこれなかったんです。荒地をならし、道を造るキャタピラが着いたブルトーザーは、道路が出来たら乗用車にとって代わるのです。舗装道路の上でキャタピラ車が走ったら道路はガタガタに割れてしまうでしょう。改革者たちと維持者たちは性格や役割が違うのです。
楽天会時代の方々は、厳しい稽古についてきた精鋭の方々ばかりだったでしょうに・・・。表の世界では単に名称が変わって事務所が新しくなっただけかもしれませんが、それが新体道変容のキッカケになったのでしょうか。
文化も時代も変わったんです。青木が厳しすぎる、めちゃくちゃだ、デタラメだ、と言われたこともありますが、実は大してめちゃくちゃではないんですよ。海外に行って各地で女性と浮き名を流したとか子どもが何人もいるといまだに言われることがありますが、まぁ、英雄伝説の1つだと考えて下さい。そこまではやってないですから。
雑誌『気マガジン1994年10月号』より
私はこのインタビューをさせていただくにあたり、本を読んだり過去の雑誌を取り寄せていくつもの記事を拝見させていただきました。それらを拝見すると、若い頃の青木先生は、さぞ女性におもてになっただろうことは十分推測できます。今でも素敵ですが、当時の写真を拝見すると青木先生、ひたすらカッコいいです!この写真なんか惚れ惚れします。青木先生は多くの女性を魅了させていらしたんだろうなと思います。だからそんな噂が出てしまうのも仕方ないかもしれませんね。それにその噂の出所には、個人的な嫉妬もだいぶ含まれている気もします。

それから本や雑誌を拝見していると、皆さん白い袴を履かれていることもあり、原始キリスト教のエッセネ派はこんな感じだったのかなと思ったんですよね。エッセネ派の修行もこんなふうだったのかなと。
そういえば、アメリカの新体道の会員がどこかで観相してもらったら「あなたがやっているその新体道の創始者はエッセネ派の生まれ変わりだ」と言われたそうです。
そうなんですか。エドガー・ケイシーは、エッセネ派は救世主イエス・キリストという一人の人物をこの地上にもたらすために、何世代にもわたって徹底的に自分たちの魂と肉体を清め、救世主を生むことのできる母親と、救世主となるべき魂を受け入れられる肉体をこの世に準備するために存在した特別な霊的修行グループだったと言っています。だから青木先生がかつてエッセネ派のメンバーだったと伺っても、全く不思議ではないです。というか、そうだろうなと納得できます。
キリストの弟子達がキリストに「あなたは本当は何者なんですか?」と聞いたらキリストの顔が金色になり、衣装が真っ白に輝いて天に昇って行き、神の隣りに座ったというのがあの稽古着のヒントになっています。武道では宗家だけが白を着ますが、新体道ではみんなが宗家だという発想で全員が金文字入りの白を着ます。ですから白い稽古着の発想は純聖書的なものです。

今の剣武では黒や茶の袴をはかせています。でもいつかみんな稽古着ばかりでなく身も心も真っ白に光ってもらいたいという思いはあります。それが私の願いですから。

エドガー・ケイシーのリーディングのなかでも「あなたはキリストのそばであれをやっていた人ですね、これをやっていた人ですね」と言われた人が何人もいましたよね。実際に過去生で一緒にいた人たちが助けたり助けられたり、詫びを入れたり、そういうことのために現世に生まれ変わって来るということはあると思います。だからその頃の人たちが生まれ変わってエドガー・ケイシーのもとにも集まっていたと思います。

あなたも私も少し前までは見ず知らずの人だったけど、ケイシーがいたら「何百年前のあの時代に一緒にいたじゃないか」って言われるかもしれない。魂は引き合うわけですから。

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