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  3. 第14回「人間は生まれたときは100%自然なのに、意識が身体を不自然にしてしまっているんです。それをほぐしていかなければいけません。」

第14回
青木先生がどんどん進化されているように、お弟子さんたちも皆さんそれぞれの歩みをされ、進化されてきていらっしゃると思いますが、やはり自分を超えられた感じはないですか?
I hope so, and it is their problem. 彼らの学びは彼らが考えるべきことです。期待していますがアテにはしていません。でもすごく伸びていますよ。書道でいうと、10人師範がいるんですが、そのうち5人は自分の教室を始めています。その5人の成長はすごいです。剣武天真流でも本部正師範以下目覚ましく進んでいる人たちがいます。

でも私を追い越せる人は絶対にでない。私が最高で絶対に越えられない。 そしてそのように1人1人がそれぞれ独自であり最高なのです。全ての人が最高のONLY ONEなのです。

皆さんが知っておかなければいけないのは、1人1人が自分で大きくなるんです。木に喩えると私は巨木で弟子達は周りの木々みたいに見えるかもしれないけれど、みんな自分で大きくなればいいんです。自分が成長するために100%私を見習い私の真似をしてやっていくと、いつか自分が大きくなっているんです。そしてある日青木を超えているのに気がつくのです。書道の学習法にたとえると、純粋な自分が出てくるための私は臨書のお手本みたいなものです。それは追い越さなくてもいいんです。一所懸命やっていれば必ず新しい自分がそこから自然に生まれてきますから。

*臨書:書道で手本を傍らに置き,見ながらその字形や筆使い,字配りや全体の気分をまねて練習すること

誰も私を100%学び取ることはできないし、そうする必要もありません。でも100%学ぼうとしないといけないんです、師匠について。徹底的に学んでいくと、いつの間にか新しい自分が生まれてきているんです。稽古とはそういうものなんです。

私はこれは書道の臨書学習から学びとったのです。日中の昔の大名人50人の字を手本にして臨書して臨書して、臨書しまくるのです。もうコピー機でコピーしたくらいにそっくりに書けるようになるまで何年も何年も臨書学習をするのです。するとある日、そこから全く新しい自分の文字が生まれていることに気がつきます。

誰も青木宏之という木にはなれないけれど、自分自身が大きな木になって栄えてくれれば周りにきれいな緑や美味しい実を提供できるようになります。それでいいと思います。だから自分という木を大きく花開かせるためには、先生に育ち方を習って花を咲かせ、全てを見習っていかなければいけません。師匠というのは弟子に自分と同じになれなんて思ってないですよ、なれませんし。クローンみたいにそっくりなのが育ったら気持ち悪いよねぇ。花壇に咲く沢山の花のようにいろいろな種類の花が咲き誇っているからいいのです。

私が持っているたくさんの技は同じものとしては伝わらないでしょう。でも皆がそれらを自分のものとしようと学んで追求することによって様々な自分流のものがつかめていけるのです。

このインタビューも文章になることによって、あなたのネットワークを通してどこかにいる人の心に入っていき、その人の人生のプラスになっていけばいいなと思います。それがエドガー・ケイシーや江上先生、井上先生への恩返しにもなると思います。
とはいえ、身体のことは文章で読んでも伝わらないところはありますよね。やはり自分で体感しないとわかり得ないことも多いですし。
全くその通りです。身体のことで何かを体得していきたい人に、いくつかアドバイスがあります。

まず身体をグニャグニャにする練習をする。グニャグニャにして動き続けること。次はリズミカルに大きく動き続けること。ジャンプでもランニングでもいいので、長時間20分でも30分でもリズミカルに動くこと。揺らすだけでもジャンプだけでもいいです。3分ごとのインターバルの駆け足、速歩、駆け足、速歩と4~50分繰り返すのもとてもよいです。そしていつも頭の中に方向を持つこと。マラソンの場合にはゴールですが、無限の彼方をいつも見ながら行う。マラソンは足元を見ながら走りますが、頭の中には当然いつもゴールがあります。何百キロから、何万キロ先を頭の中で想像して見ること。方向性を持つことで身体がそちらに向かいます。

身体をほぐして柔らかくすること、リズミカルに動くこと、方向性を持つこと。この3つがとても大事です。そしてとにかく力まないこと。決して下腹に力など入れないことです。そして否定的な考え方は絶対に持たないことです。もう唯自分を信じて前向きに生きるのみです。
私に青木メソッドを紹介してくれたSさんが合宿のときの体験をシェアしてくれました。その合宿で、皆さんが浜辺をウサギ跳びで灯台に向かうことになったとき、自分はウサギ跳びができなかったので、膝行で行ったと。膝行で行ったので、人よりもずいぶん遅れて浜辺を進んでいたら、あるときから神の祝福のようなものを感じて、その喜びで号泣しながらゴールに行った。そんなエピソードでした。

*膝行:膝を地面に着いた状態の跪坐(きざ)という体勢から動くこと
それは開脚前進という跳び方です。うさぎ跳びだと膝への負担が大きすぎ膝を痛めてしまいます。それで膝を痛めない跳び方を開発したのです。その跳び方を砂浜でやったのです。

先に着いた人でも泣きながらやっていた人はたくさんいますよ。顔を輝かせながら開脚前進をしています。50数才の朝日新聞の大記者が3キロだったかな、その跳び方でやり抜くと言ってたので、みんなで迎えたんですが、跳んだ方も迎えた方も感動して泣いてましたよね。

人間というのは苦しいときでも頑張ってやり抜く、リズミカルにやることでパーっと解放されるんですよ。それを人はあまりにも知らない。知っていてもやらないのです。
雑誌の対談で青木先生は、瞑想するより身体を動かしていたほうが覚醒が早いとおっしゃっていたんですが、何時間も座り続けているより、身体を動かすほうがいいってことなのでしょうか?
それは断言できません。ただ瞑想は自己満足で終わってしまうことがすごく多いんです。目を瞑っていると方向がありませんが、運動の場合は競争したり何キロ走るといった目標があります。あの灯台までジャンプして行こうという心に目標ができるから内向しないんですよね。内向しないから外部のエネルギーとの交流がおきて天地の真理とでも言うようなものを受け入れることができるわけです。私は長いこと、瞑想教室も開いていますが、初めに少し体をほぐし、そして動かし、それから静かに瞑想に入ります。今はみんなほんの数秒でものすごく深い境地に入ってしまいます。

最後に一言つけ加えますと、一人で励んでおられる方は、稽古環境、部屋、道具、道について話せる友人などを心から大切にしないとダメです。剣術なら刀、稽古衣、道場など、書道なら筆、墨、硯、紙、水です。そして稽古の始めと終わりにきちんと礼をし、身の回りを清浄化、荘厳化するのです。そうすると、環境や道具がいろいろ教えてくれるようになります。是非やって下さい。

また心が変わり、考えが変わると、武道の技でも書道の技でもガラッと変わってしまいます。いつも正しく誠実に生きていこうと出来る限り清らかに生きていこうと願っている人は刀を振っても筆を持っても清々しい技が出来るものです。

日本の平安時代頃ですが、中国に柳公権(りゅう・こうけん)という人がいました。彼は書の大名人でとても性格の悪い穆宗(ぼくそう)という王様に書を教えていました。ある時、王がもっと書がうまくなるにはどうしたらいいかと尋ねられました。その時彼は一言「心正しければ、筆正し」と教えたのです。私達はパーフェクトであることなど出来ません。しかし、そうであろうと目指すことは出来ます。私だってさんざん偉そうなことを言っていますが、全然大したことはないんですよ。

でも、みんなが一所懸命、より理想的なところを目指して励むことにより、みんな美しい技が使えるようになります。それを信じ、理想を持ち、自信をもって進んでほしいと思います。

今日は時間が無くなってしまいましたので、次回第2弾として、さらに深く掘り下げていきましょう。
今日は長時間にわたり、大切なお話をたくさんしていただき、ありがとうございました。次回は先生のなかのケイシー話をゆっくり聞かせて下さい。
●青木 宏之先生の主な著書
「からだは宇宙 のメッセージ」(地湧社)、「新・からだ主義宣言」(ビジネス社)、
「新体道」(春秋社)、「自然なからだ 自由なこころ」(春秋社)、
「運をつかむ瞑 想法」(青春出版社)他

●関連リンク
新体道天真会天真会フェイスブック

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